【読書漫画】チベット旅行記 4話目

4話目です。
 
信者や友人たちに見守られて
いよいよ船に乗り込みました!
 

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この明治30年の「和泉丸」について調べたんですが
この頃の「ヨーロッパ航路」で運航していた「土佐丸」の僚船(仲間の船)に和泉丸があったという記述を見つけました。ルートも慧海師の通ったこれらの都市をなぞっています。
 
当時
神戸からシンガポールまで、2週間以上かかったんですね。
船賃もかなり高かったのではないかと思います。
はっきり幾らかはわからないですが、餞別のお金も船賃でかなり減ってしまったのでは…。
 
シンガポールにある「扶桑館」についてですが、
明治22年に日本領事館がシンガポールに開設されてから、日本人がシンガポールに住み始めたという記録を見ました。日本人の宿屋が3つほど?あったようで、そのうちの1つとか。
色々調べると、明治時代は外国への道が拓けて、人の往来もすでにたくさんあったんだなという印象です。
 
英国人のタムソン氏は、香港から乗ってきたのですが
日本に18年住んでいたので日本語がペラペラだったようです。
熱心なキリスト教信者で、慧海師と大変な議論が始まったとのことで
乗客のみなさんにとっても 長い船旅でのハイライトだったことでしょう。どんな内容の議論かは書かれていませんが。
 
ちなみに
本の巻末にある年表には、慧海師は19歳のときに英語を習ったとあります。
ここんとこ明治時代についてあれこれ調べたりしてるんですが
この時代の学生って勤勉ですよね。夏目漱石が東大予備門での数学の証明を全部英語で書いてた答案を写真で見て驚きました。なんだろう…今と違って、勉強量がすごい。東大の前身だから、将来の日本を担うという意味が込められていたんだろうけども、それにしても。(漱石は数学も得意だったらしいですね)
慧海師だって
漢文読めるし英語できるしパーリ語習ってこのあとチベット語がネイティブ並みにペラペラになるんですから…。
なんですかねー私の10倍以上の人生量です。尊敬…!
 
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さてそんな私は
今日は豆腐ハンバーグとケチャップとフライドポテトを作りました。
起きてからなんとなく「ながら作業」で玉ねぎをみじん切りにしたり
鍋を熱したり
洗い物したり
焼いたり食べたりまた洗ったり明日のための具を刻んだりしていたら1日が過ぎました。驚愕です…!ブルブル。なにしてたんだっていう。しかし毎日こんな感じ。
気づけば常に切ったり洗ったりしている気がしてなりません。
 
ケチャップを作るためにトマト缶を使ったんですが、
出来心で豆腐ハンバーグに使った残りのカツオの出汁汁を少し入れたら一気に和風になってしまって超凹みました。思い描いていたのと違う…。
 
まぁでもこれで何日か分のオカズストックができたので作業がんばろーと思います。
 
 
 

 

 

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